ご挨拶・長清寺について・黄檗宗のご紹介
「心の時代」の到来と、仏教が拓く希望の未来
伝統を「生きる力」へ。今こそ、慈悲の出番です。
日本は今、物質的な豊かさを超えて、精神的な充足を大切にする「心の時代」を迎えました。 これは私たち仏教者にとって、大きな希望の光です。多くの人々が、より良く生きたいと願い、心の豊かさや真の安らぎを積極的に求め始めているからです。 この時代の変化は、仏教が本来持っている「生きるための智慧」を、現代社会に手渡す機会であると言えるでしょう。
「安心」という仏教の財産
日本人の心には、古くから「仏教」に対する温かな親近感と安心感が根付いています。 お寺の静寂、仏像の穏やかな眼差し、季節ごとの行事。これらは単なる形式や観光資源ではなく、人々の心に安らぎをもたらす「心の原風景」として愛されています。 この信頼関係こそが、私たちの最大の財産です。 人々が抱く「懐かしさ」や「安心感」を入り口として、葬儀や法事といった儀礼的な関わりから一歩進み、日々の生活を輝かせる「生きた教え」を実感してもらう。そのための土壌は、すでに十分に整っています。
「ケア(癒し)」がつなぐ、新しい絆
現代の人々が求めているのは、心に寄り添う「ケア(癒し)」です。 かつてのような家単位の先祖供養に加え、今では「自分自身の生き方」や「心の調和」を大切にする人が増えています。これは、信仰がより個人的で、実存的な深まりを見せている証拠でもあります。お寺は、自分の話に耳を傾けてくれる場所。 僧侶は、自分の人生を肯定し、応援してくれる存在。そのような役割を果たすことで、仏教は社会の中でより一層輝きを増すでしょう。人々の情緒的な願いや、より良く生きたいという向上心を受け止めることこそ、現代における布教の新しい形です。
自分の言葉で、心を灯す
仏教の歴史は、常に時代とともにあり、人々に寄り添うことで変化し続けてきました。しかし、その底流にある「慈悲」と「智慧」の光は、いつの世も変わることはありません。 大切なのは、その普遍的な真理を、現代の感性に響く「自分の言葉」で届けることです。 難しい教理を語るのではなく、目の前の人の心に届く言葉を紡ぐこと。僧侶自身の温かい人間性と言葉を通して、仏教の教えが人々の生活に溶け込んだ時、それは明日を生きる確かな力となります。 私たちは今、何を、どう伝えていくのか。 その可能性は無限に広がっています。学びを深め、現代に生きる人々と共に歩む姿勢は、必ずや多くの笑顔と感動を生み出すことでしょう。 お寺の門をくぐれば、そこには心安らぐ対話があり、明日への活力が湧いてくる。そんな「生きる喜び」を分かち合える場所として、また仏教は2500年の智慧を未来への希望に変え、一人ひとりの人生を温かく照らし続けること。それが、私たちに約束された明るい未来なのです。
合掌
長清寺 住職 玉井 竜滋

元禄13年(1700)、廣寿山の如意庵を改め「長清寺」の号を拝受。

昭和4年、玉泉庵と合併し現在地へ。准胝観音像を安置。

北九州市小倉北区寿山町。緑に囲まれた静かな環境です。
坐禅によって悟りを得ることを目指す禅宗の一つ。臨済宗・曹洞宗とならぶ日本三禅宗です。達磨大師の伝来に始まり、江戸期に隠元隆琦禅師が渡来して教えが広まりました。
禅の中核は「直指人心・見性成仏」。経典の理解だけに留まらず、自己の内に仏性を見出す実践を重んじます。
明朝様式の伽藍が整然とならぶ大本山。法式・梵唄は明代の様式を継承しています。


